日本の成り立ち 米の広がり
日本に水田での稲作が伝わったのは約三千年前と言われています。
大陸から海を渡った稲は九州の地に根を下ろし、西から東に広がっていきました。
稲が伝わる前の日本では、自然の恵みを頼りに暮らしていました。
海に囲まれ山地が多いこの地で、
魚や貝を獲り、獣を狩り、木の実や草の実を集めていました。
日々の糧を求めて移動を続けることなく、同じ場所で毎年繰り返し米を作れる水田は、
私たちの祖先の目にどう映ったことでしょう。
稲はアジアの熱帯地方で生まれた植物です。
熱帯特有の土地が水に覆われる雨季と乾季の中で進化してきた稲。
その環境を農業土木的に再現したのが日本の水田です。
私たちの祖先は長い試行錯誤の中で、
豊かな実りを得るために水を管理する土木技術を手に入れました。
それが花開いた場所のひとつが、山の斜面を切り開いて作られた棚田です。
水を貯める箱を作る石垣や土塁、山の水を貯め、
順々にすべての棚田に行き渡らせる巧みな構造。
それらはそこに暮らす人々の命をつなぐ、米の実りを祈りながら築かれたものなのです。
長い年月をかけて、山間の地では山の水を引く棚田が、
平地では河川の水を活用する水田が各地で作られました。
米づくりにかける八十八の手間隙が、秋には豊かな実りとなって還ってくる。
繰り返される四季の中で、豊穣を祈りながら米をつくりつづけてきた先人たちは、
やがて米を中心とする日本の文化を創り上げていきました。