国づくりと米食文化

水田のまわりに人々は集まり、協力しあい、つながっていきました。
村が生まれ、やがて大きな国となり、
6世紀頃には様々な社会の仕組みが生まれました。

各地で米づくりが行われるようになると、米は税としての役割を果たすようになります。
自然からの恵みである米が、国の富を創り上げていきました。
米は政治や経済を動かす基盤であり、共通の貨幣でもありました。
そしてその富の始まりである米づくりは、人々の生活の根幹になっていきました。

米は文化や信仰にも大きな影響を与えました。
米づくりの場では、季節ごとに様々な行事がうまれました。

農閑期に山に帰っていた田の神を迎え、
神の座である桜に供物を捧げ、豊作を祈願する春の「花見」。
お囃子や田植唄に合わせて着飾った早乙女達が苗を植え、
田の神を祭る初夏の「花田植」。
収穫を感謝し、神に供物を捧げる「秋祭り」など、
豊穣を祈り感謝する心から、各地に個性豊かな文化が花開きました。

また米は、日本の食文化も大きく発展させました。
米を米として食べるだけでなく、
調味料や酒、餅や菓子など、多彩な加工品が生まれました。
稲や藁などの副産物も無駄にせず、藁葺き屋根や畳などの住宅や、
蓑や草鞋といった身につけるものの材料にしました。

米はもちろん、稲藁も無駄にせずその命を活かしきる。
手間隙を掛けた米づくりで得た恵みを、
先人たちは自分たちの命をつなぐものとして、余すことなく活用してきたのです。