展示内容

Exhibition
2022.4.28~6.25

進化する弁当容器

1970年代後半に誕生した「持ち帰り弁当」はお弁当の歴史における革命でした。家で作るのが当たり前と思われていたお弁当に「外で買って持ち帰って食べる」という新しいスタイルを作りました。

背景には高度経済成長期のライフスタイルの変化がありますが、利便性や手軽さだけでなく、「おいしく食べてもらおう」という思いと工夫が顧客の心をつかみ、今や人々の生活の中にすっかり浸透しています。また、軽量で成形しやすく大量生産 可能な新しい素材プラスチックが、容器にも革命をもたらしました。環境問題が重要視される現在、弁当容器は時代のニーズと共に進化しています。

新緑がさわやかな季節を迎えました。青空に泳ぐ鯉のぼり、香る菖蒲・・・5月5日は端午の節句、男の子の健やかな成長を祈り祝うお祭りです。その由来についても御紹介しましょう。    

                                      監修・解説:権代美重子(食文化研究家)

 

プラスチック食品容器

プラスチックとは、石油を原料とする高分子合成樹脂で、20世紀初めに発明されました。加熱により多様に変形し、大量生産が可能です。軽く強く透明性に優れ、着色も自由に施すことができ、断熱性にも優れています。各国で研究が進み、次々と新しいプラスチックが発明されていきました。日本では、1949年に塩化ビニールの生産が始まり、国の石油化学工業推進政策の後押しで1958年から本格的に大量生産されるようになりました。

1960年代

高度経済成長期の大量生産、大量消費の時代。セルフサービス方式のスーパーマーケットが増え、プラスチック製品は安価に大量生産可能なことから、食品トレーとして広く使われるようになる。白いシンプルな発泡トレーが主流で、発泡スチロールは石油からつくられるポリスチレンを小さな粒状にして約10倍に発泡させて作るため、製品体積の約95%が空気である。空気を多く含むので軽く、保温・保冷性に優れ、食品の新鮮さを保ち、独立気泡が水や湿気の侵入を防ぐという特質を持つ。

1970年代

スーパーマーケットの総合化、規模拡大が進み、1974年コンビニエンスストアが登場する。厨房を持たない店舗が多く、肉、魚、弁当、総菜類は、工場から配送される場合がほとんどであった。1978年持ち帰り弁当店が登場。市場の要望に応え食品容器の需要が急速に拡大する。食品の裏側の品質も確認できるように、透明トレーが誕生する。利便性に加えて「安全・安心」が容器の重要な要素となってくる。

1980年代

バブル景気に沸き1985年に男女雇用機会均等法制定される。働く女性の増加に伴い「中食」という調理済みの総菜や弁当を買って家や職場で食べる食事スタイルが拡大し、食品容器にも多様性やデザイン性が求められるようになる。「持ち帰ってそのまま食卓に並べられる容器がほしい」という働く主婦の要望から、白いトレーに色や漆塗風や木目調などの柄をつけた容器が作られるようになる。またプラスチック耐熱弁当容器が登場し、1988年コンビニエンスストアがレンジで温める弁当の販売を始める。

1990年代

蓋つきプラスチック容器が登場し、より衛生的に食品保存ができるようになるとともに持ち帰りしやすくなる。一般家庭でも電子レンジが普及し、耐熱性が容器の重要な要素になる。プラスチックごみ問題が世界的に注目されるようになり、使用済みトレーの自主的回収リサイクルが始まる。1995年「容器包装リサイクル法」公布等、環境に配慮した循環社会への転換が進む。

2000年代~現在

環境問題がさらに重要視されるようになり、CO2削減に対応した100%植物由来プラスチック食品容器や一部に植物原料を使用した容器等が開発される。一定条件下で微生物によって水とCO2に分解される生分解プラスチック容器の登場。容器の薄肉化や軽量化が進む。2022年4月「プラスチックに係る資源循環の促進等に関する法律」施行、環境配慮設計とリサイクル可能性が食品容器にも求められようになる。

バイオマス(植物由来プラスチック)配合容器

薄肉化・軽量化した容器

容器提供:中央化学株式会社 株式会社エフピコ

「HottoMotto(ほっともっと)」でもプラスチック使用量とCO2削減のため、お弁当容器の軽量化や薄肉化に取り組んでいます。2022年リニューアルした新しいおかず容器は、プラスチック使用量を20%も減らしただけでなく、フタの開けやすさ、容器の潰しやすさ、リサイクルのしやすさ、水滴対策などお客様の「おいしい」のための工夫が詰まった容器です。

2008年5月に持ち帰り弁当の新ブランドとしてその歴史がスタートした「HottoMotto(ほっともっと)」は、2016年10月鳥取県米子米原店のオープンで47都道府県への出店を達成。 2022年3月末現在、日本全国で2,487店舗を展開する日本一の持ち帰り弁当チェーン。あたたかく、おいしいお弁当を提供するため、お店でひとつひとつ手づくりにこだわっています。

端午の節句

5月5日は端午の節句、本来は奈良時代に中国から伝わった邪気祓いの宮中行事でした。葉の香気が邪気を祓うという菖蒲を飾り菖蒲酒を飲み菖蒲湯に入る習わしがありました。やがて武士の時代になると「菖蒲=尚武(武を尚っとぶ)」とかけて武家では兜や鎧を飾り男児の武運を祈る行事となります。江戸時代には幕府の式日となり、戦いのない安定した社会の中で武家だけでなく町民階層にも浸透し、男児の健やかな成長を願う行事へ変わっていきました。「子供の日」として祝日になったのは1948年のことです。

歌川広重「名所江戸百景 駿河台水道橋」国立国会図書館蔵

「鯉のぼり」を飾るようになったのは江戸時代の後期のことで、武家の幟(のぼり)に倣って町人が考えたものです。鯉は滝を上って龍になり空に昇るという故事から、立身出世の願いをかけました。当時は江戸だけの風習で鯉は黒一色の一匹のみでした。色鮮やかな複数の鯉のぼりの登場は明治時代後期のことです。

菖蒲は川や池などの水辺に生えるサトイモ科の植物です。草丈は50 ~100cm になり、初夏にガマの穂のような地味な花が葉の中ほどから出ます。全体に強い芳香があり、その香りが邪気を祓うとして古来貴ばれてきました。芳香の成分には血行促進、疲労回復の効果があり、生薬「菖蒲根」は根茎を乾燥させたものです。また、葉の形が刀に似ていることから邪悪を斬り払う力を持つとされ、端午の節句の日には男の子たちは「菖蒲打ち」と言って葉を「菖蒲刀」として地面を打ち合って遊びました。

端午の節句の菓子は江戸時代初期までは粽で、柏餅の登場は江戸時代中期のことです。粽は中国では忠誠心の象徴とされ武士の心と通じます。柏の葉は次の新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない=子孫繁栄」を表す縁起をかついでいます。一般に関西では粽、関東では柏餅が主流です。