展示内容

Exhibition
2022.6.28~8.31

自然とともに食事を楽しむ

 いよいよ夏到来。待望の夏休みも始まります。仲間や家族でのお出かけを楽しみになさっている方も多いでしょう。春夏秋冬と異なる魅力の四季に恵まれた日本では、古来人々は山野へ出かけ「野遊び」をし、遊宴を催しました。花見、納涼、月見、紅葉狩り・・・季節折々の風景の中で人々は自然と一体となって飲食を楽しんできました。ピクニック、ハイキング、キャンプと呼び名は変わっても、自然と親しむ日本人の感性は変わりません。

 7月7日は「七夕」です。夏の夜空に横たう天の川、川をはさんでの牽牛と織姫の恋物語、笹の葉に結ぶ願い・・・七夕は夏を告げる祭りです。その由来にも光を当ててみましょう。

                            監修・解説:権代美重子(食文化研究家)

日本では、一般庶民の生活行事の中にも季節と自然を楽しむことが浸透していました。自身の庭を持たない庶民は大きな自然そのものを自身の庭としたのです。人々はお弁当を持って連れ立って出かけ、自然の中で飲食を楽しみました。季節の花、新緑、紅葉、鳥の声、川のせせらぎ、月の光、風のそよぎ…それらは皆飲食を楽しむための舞台装置でした。

季節を楽しむ「野遊び」はお弁当と一緒でした。酒器も組み込まれた提げ重をもって出かけました。季節と自然が飲食に付加価値をつけ、気分を高揚させ仲間の絆を深めました。

時代は変わって、「野遊び」は「ピクニック」と呼ばれるようになりました。ピクニックは西欧の貴族たちが狩猟の際、持参した簡単な食事を野外で楽しんだことが由来とされます。お弁当を持ってのピクニックは、子供たちにとってわくわくする楽しみでした。さわやかな風を感じながら草上で広げるお弁当の味は格別でした。野外で火を焚きバーベキューを楽しむこともありました。野外で飲食を楽しむための食器セットを一式揃えたピクニックバスケットも海外から入ってきました。日本の「提げ重」のようです。

野外で煮炊きする道具類も進化しました。飯盒(はんごう)は、キャンプなど野外での調理に使用する携帯用炊飯器です。蓋は食器になります。焚火で加熱調理したり、手に提げて持てるように、本体には鉄製のつり手(つる)が付いています。蓋に折り畳み式で鋼製のハンドルが付いていてフライパンとして使えるタイプもあります。飯盒は明治時代から軍用として普及しましたが、今ではアウトドアのレジャー用品として使われています。また、調理用ストーブが開発され、焚火による煮炊きは今ではほとんど行われなくなりました。

七夕

「七夕」は、日本古来の「棚機津女(たなばたつめ)」の信仰と奈良時代に中国から伝わった牽牛・織女の星伝説が合わって生まれた星祭です。中国に乞巧奠(きっこうでん)という織女に裁縫や芸事の上達を祈る習慣があり、それにならって日本でも短冊に願い事を書いて笹に吊るすようになりました。庶民にも広く行われるようになったのは江戸時代からです。

「市中繁栄七夕祭」歌川広重 |国立国会図書館蔵

7月7日の七夕は江戸時代には五節句の一つとされ、青笹竹に五色の短冊、色紙で作った網、吹流しなどを飾り付け、七夕飾りを高く掲げることを競い合うようになります。笹竹は神が降臨されるときの依り代でした。江戸の町に西瓜、そろばん、大福帳、鯛など色とりどりの七夕飾りが風になびきました。「七夕飾り」は6日の夕方に飾り、7日の夜には取り込むのが本来のしきたりでした。 

「雅遊五節句之内七夕」歌川国芳 |ボストン美術館蔵 

七夕の日にサトイモの葉に溜まった露で墨を磨り梶の葉に書くと字が上手になると言われています。サトイモの葉に溜まった露は天の川の雫(しずく)と考えられていました。

中国では、索餅(さくべい)と呼ばれる菓子を七夕の日に食べると瘧(おこり:熱病)に罹らないと言う伝承がありました。索餅が索麺(さくめん)となり素麺(そうめん)となって、日本では七夕の日に素麺を食べるようになりました。江戸時代には将軍から庶民まで七夕には素麺を食べたそうです。また、商家では七夕に素麺を得意先へ届ける習わしがありました。