展示内容

Exhibition
2022.9.1~10.31

地芝居を楽しむ

江戸時代、庶民の圧倒的人気の娯楽は芝居見物でした。江戸や上方では歌舞伎が大盛況、芝居見物だけでなく人気役者を描いた浮世絵がとぶように売れました。芝居人気は地方でも同じでした。最初は江戸や上方から来た旅役者が演じる芝居を楽しんでいましたが、やがて地域の人々によって演じられるようになります。祭礼の日に神社の境内で演じられる芝居は、地域の人々にとって年に一度の大きな楽しみでした。たくさんのご馳走を詰めたお弁当を持って、食べながら終日芝居見物を楽しみました。その伝統が今も「農村歌舞伎」などの「地芝居」として各地に残っています。

秋の節句と言えば、まず浮かぶのが九月九日の「重陽の節句」です。陰陽思想における縁起の良い陽数の極みの九が重なることから、この日無病息災や長寿を願って祝いました。菊の季節でもあり「菊の節句」とも呼ばれます。

                             監修・解説:権代美重子(食文化研究家)

日本各地に残る地芝居

大鹿歌舞伎

          大鹿歌舞演目 写真提供:南信州民俗芸能継承推進協議会

長野県大鹿村は、南アルプス赤石岳の麓にある人口約1000人の山村です。ここに300年以上も継承されている「大鹿歌舞伎」があります。村の神社に舞台が設けられ、村人たちは境内にゴザを敷き持ち寄ったお弁当を食べながら終日芝居見物を楽しみます。演じられる芝居は本格的、役者も裏方も運営もすべて村人たちによるものです。「大鹿歌舞伎」は2017年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。                                 場所:長野県下伊那郡大鹿村 日程:春の公演 5月3日(大磧神社)  秋の公演  10月第3日曜日(市場神社)

ろくべん

観劇に持参のお弁当は「ろくべん」、持ち運びしやすいように取っ手のついた木箱に入った主に5~6段重ねのお弁当です。昔から村の人々はこのお弁当箱にぎっしりご馳走を詰めて芝居見物に出かけました。食べながらの見物とおしゃべりは村人同士の親しみと絆をより深めました。

小豆島で受け継がれるふたつの農村歌舞伎

瀬戸内海の小豆島には、「肥土山農村歌舞伎」と「中山農村歌舞伎」が継承されています。どちらも村人たちによって上演・運営され、300年以上の歴史を持ち、県の重要無形民俗文化財に指定されています。五穀豊穣の願いと感謝を込めた奉納歌舞伎として行われています。                        

「肥土山農村歌舞伎」場所:香川県小豆郡土庄町肥土山(肥土山離宮八幡神社) 日程:毎年5月3日                                          「中山農村歌舞伎」 場所:小豆郡小豆島町中山 (春日神社)  日程:毎年10月中旬

わりご弁当

わりご弁当写真の出典:「シリーズにっぽん農紀行 ふるさとに生きる」(一般社団法人 家の光協会)                                   映像はこちら↓よりご覧ください。【小豆島に伝わる伝統の「わりご弁当」と郷土料理】                                          https://furusato-ikiru.com/chapter/kagawa/detail-349/

芝居見物のもう一つの楽しみが「わりご弁当」、大きな箱の中に方形や台形の小さな一人用の「わりご(割盒)」がいくつも入っています。「わりご」の中には、郷土料理の酢飯を突き固めた「つき飯」や煮しめ、卵焼きなど、ご馳走がいっぱい。村のおかあさんたちが集まって、役者や裏方の分まで全員分のお弁当を作ります。各家庭でも20個ほど作って、持ち寄って芝居見物をしながら分け合って食べます。

多人数弁当

芝居見物や花見には家族や仲間、近所で誘い合って連れ立って出かけました。持参するお弁当は自分たちの分だけでなく他の人たちの分も用意し、みんなで分け合って食べました。いろいろな多人数弁当箱がありました。みんなで一緒にお弁当を囲み、おしゃべりをしたり、無礼講を楽しむことで、仲間意識や絆が深まっていきました。

重陽の節句

「重陽の節句」は、平安時代初めに中国から伝わりました。旧暦の9月9日は、現在の10月中旬ごろにあたり、菊が美しく咲く時期です。菊は「仙境に咲く霊薬」として、邪気を払い長寿の効能があると信じられていました。

菊酒と栗ごはん

重陽の節句では、菊の香りを移した「菊酒」を飲んで邪気を払い無病息災や長寿を願います。また、この頃は作物の収穫時期と重なるため、庶民は「栗ごはん」を食べて祝いました。庶民の間では「栗の節句」とも呼ばれました。平安時代には宮中行事として菊を鑑賞する宴や菊を用いた厄払いが行われていましたが、江戸時代から五節句の一つとして庶民にも広がり親しまれるようになりました