展示内容

Exhibition
2024.2.29まで

日本の餅文化

あけましておめでとうございます。

「正月立つ 春の初めに かくしつつ 相し笑みてば 時じけめやも」
(お正月の春の初めの日にこんな風に一緒に笑い合えるのは楽しいひとときですね)
これは、万葉集にある大伴家持の歌です。この歌にあるように誰もが家族や仲間たちと一緒にいつも笑い合える良い一年でありますように、とお祈り申し上げます。

お正月は年神様を迎え、一年の安寧と多幸を祈り、いつもと違うおごそかな気持ちになります。お迎えした年神様の依り代(お座りになる場所)が「鏡餅」です。
「鏡餅」は三種の神器の一つ八咫鏡(やたのかがみ)を模したもので、大小二つの餅は「陰と陽」「月と太陽」を表しており円満に年を重ねるという意味があると言われています。古来、鏡餅には年神様の「御魂(みたま)」が宿ると考えられてきました。

「餅」は豊穣・円満のシンボルでもあり、節句や行事・吉事に欠かせないものとして広く親しまれてきました。
また、地方によって様々なその土地ならではの「餅」があります。新年にあたって、そうした日本の餅文化についてご紹介します。

      監修・解説 食文化研究家 権代美重子

お雑煮

お正月に「お雑煮」を食べる「お雑煮の歳食い」という習わしが各地にあります。年末に年神様に供えた餅や里芋、にんじん、大根などを、その年の最初に井戸や川から汲んだ「若水」と新年最初の火で煮込み、元旦に食べたのが始まりといわれています。神様に供えたものを食べることによって神の霊力をいただきながら新しい年の福寿を願う、という意味があります。「お雑煮」で正月を祝う風習は室町時代に始まり、江戸時代に庶民の間にも広がりました。全国各地に、その地域ならではの「お雑煮」があります。

各地のお雑煮いろいろ
https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2001/spe2_03.html
農林水産省ホームページより

餅花

屠蘇でほろ酔い気分の3人の女性と正月の飾り物の繭玉が描かれています。繭玉は、もとは米の粉で繭形の団子を作り、木の枝に沢山付けたもので、餅花の1種です。餅花は正月の飾り物で、柳などの木の枝に餅を小さくちぎって付け、穀物の豊かなみのりを願って神棚や室内に飾りました。養蚕の盛んな地方では、繭の豊かな収穫を願って繭玉を飾りました。餅花、繭玉は、小正月(1月15日)のどんど焼の火であぶったり、小豆粥に入れたりして食べます。餅花は元禄期(1688~1704)にはあったようで、江戸目黒不動尊で年末に正月向けに売られるものが有名でした。

花びら餅

「花びら餅」は、新年に食べる祝いの餅菓子です。平安時代の宮中正月行事「歯固めの儀式」の「菱葩餅(ひしはなびらもち)」に由来しています。白餅を丸く平らに延ばして赤い小豆汁で染めた菱形の薄い餅を重ね、中に甘く煮たふくさ牛蒡(ゴボウ)を白味噌の餡にのせて、半月型に仕上げます。牛蒡は鮎に見立てたもので、鮎は「年魚」とも書き新年の縁起物です。

かきもち

「かき餅」とは、餅を薄く切って干したものを言います。正月の鏡餅を砕き欠(か)いてつくった「欠(かき)餅」が由来とされます。包丁でなまこ形に切ったものは片餅(へぎもち)と言いました。今はどちらも「かき餅」と呼んでいます。鏡餅を砕いたかき餅は、汁粉に入れるか、干して油で揚げて食べます。なまこ形につくるかき餅には、黒ごまや大豆、青のりなどを搗(つ)き込んだものもあって、その風味も楽しみました。

雛の節句「菱餅」

「菱餅」は繁殖力の強いヒシの実をかたどったもので、健やかな成長と長寿の願いが込められています。餅の三色は、「桃色:魔除け」、「白:長寿」、「緑:健康」をあらわしていると言われます。重ね方は下から「緑・白・桃」で、雪の下から新芽が芽吹き、桃の花が咲いて春が訪れる様子をあらわしています。

端午の節句「柏餅・粽」

柏の木は、新芽が出るまで古い葉が落ちないという特性があり、新芽を子ども、古い葉を親に見立て「家系が絶えない」「子孫繁栄」の願いを込めて端午の節句に柏餅が食べられるようになりました。この風習が定着したのは江戸時代のことで、現在でも西日本では柏餅より粽(ちまき)が食べられます。

彼岸「牡丹餅」

お彼岸に供えるもち米をあんこでくるんだ餅は、季節によって呼び名が変わります。春は「ぼたもち・牡丹餅」、秋は「おはぎ・御萩」と言います。「ぼたもち」は「こしあん」、「おはぎ」は「つぶあん」で作ります。「ぼたもち・おはぎ」は小豆の赤い色に魔除けの効果があり、邪気を払う食べ物としてお彼岸にご先祖様にお供えされてきました。また「もち米」と「あんこ」を「合わせる」ことから、ご先祖様と自分たちの心を「合わせる」という意味もあるそうです。

餅本膳

岩手県一関に伝わる冠婚葬祭などの席での儀礼食の餅膳です。「生姜」「小豆(あんこ)」「納豆」「胡麻」「くるみ」「沼えび」など様々に調理された餅が膳で供されます。発祥は武家の年中行事に由来し、作法や食べ方にも決まりがあります。かつてこの地方を支配していた伊達藩は毎月餅を神に供えることを農民に課しましたが、農民は年貢を納めるだけで精一杯で自分たちは雑穀やくず米を混ぜた餅を食べていました。その餅を美味しく食べるために工夫をしたことから様々な餅料理が生まれました。

安倍川餅

静岡の郷土菓子で、できたての餅に砂糖入りの黄粉(きなこ)をまぶしたものです。徳川家康に茶屋の主人が献上したのが始まりとされます。当時、安倍川の上流には梅ヶ島金山があり流域では砂金が採れ、その金に見立てて黄粉をまぶしました。

赤福餅

伊勢名物の「赤福餅」は餅に餡をのせたものです。創業は江戸時代半ばとされ、最初は塩味の餡でしたが、黒砂糖味の餡を経て明治末期に今の小豆餡なりました。形状は伊勢神宮神域を流れる五十鈴川のせせらぎをかたどり、餡につけた三筋の形は清流、白い餅は川底の小石を表していると言われます。

棟上式の「餅まき」

建築物の新築時に、棟上迄(家の構造の骨組みが完成)の工程の無事終了を祝い、最後まで安全であるようにとの願いを込めて、棟上式を行い餅を屋根の上から撒く風習があります。災いを払うとともに騒音等で迷惑をかけた近所の方々への感謝の気持ちとこれからもよろしく、という気持ちが込められています。多くの餅をまくことで福をわけるといった意味もあります。

一升餅

子供が1歳になったお祝いに行う伝統行事で、一升餅を風呂敷に包んで子供に背負わせて立たせたり歩かせたりします。「一升」と「一生」を掛けて一生食べ物に困らないように、丸いことから丸く円満に長生きできるように、との願いが込められています。一升=1.8㎏は一歳児には重いのでうまく立てない場合もあります。立ち上がれたら「身を立てられる」、座り込んだら「家にいてくれる、家を継いでくれる」、転んだら「厄落としができた」として成長を祝います。

寺・神社の「餅投げ」

和歌山の紀三井寺では「初午福つき大投餅」が行われます。
厄除け祈願から始まったものですが、餅は「福餅」と呼ばれ無病息災の御利益があるとされます。参拝客は競って餅に手を伸ばし、境内は熱気であふれます。

和歌山では特に餅投げ行事が盛んで、江戸時代の本『紀伊国名所図会』にも描かれるほど古くからの伝統行事です。
水門吹上神社では、毎年11月23日の新嘗祭に神饌として供えた「牛の舌餅」と呼ばれる畳ほどもある大きな餅を、祭典終了後に他の奉納された餅と共に参詣者に投げます。