展示内容

Exhibition
2023.5.1~6.30

田植えの季節

風かおり新緑ゆれる爽やかな季節となりました。五月、六月の季節を表す言葉に「五月晴サツキバレ」「五月雨サミダレ」などがあります。旧暦五月は今の六月で「サツキバレ」はもとは梅雨の間の晴れた空を、「サミダレ」はこの頃降り続く雨・梅雨のことです。 どちらにも「サ」がついていますが、「サ」とは田の神・農耕神のことで、五月、六月は「田植え」の季節。晴れた日は田植日和、梅雨は苗を育てる慈雨でもあります。旧暦六月は「水無月」と言いますが、これは水の無かった田に水を注ぎ入れる頃であることから、「水無月」や「水張月(みずはりづき)」と呼ばれるようになりました。

かつて農業は日本の主産業であり、稲作行事は人々の生活の中に深く浸透していました。農耕作業の中でも「田植え」は最も重要かつ神聖なものでした。

監修・解説 権代美重子

室町時代の田植え

「月次風俗図屏風」 は室町時代の八曲一隻の屏風で、その頃の田植えの様子が描かれています。早乙女(サオトメ)達が並んで田植えをしています。大きな桶にお弁当をたくさん入れて運ぶ女性や男性の姿も見えます。また、田植えする傍らでは面をかぶって小鼓や太鼓で囃す(はやす)人たちがいます。これは「田楽(でんがく)」といい、田植えのときに田の神を祭って歌い舞ったのが始まりと言われます。田植えをする人達が勢いよく作業できるように、にぎやかなお囃子(はやし)や滑稽味のある歌や踊りが特徴です。その足元の桶には酒や酒器が入っています。このたくさんのごちそうが働く励みとなり楽しみでした。

田植えの主役

田植えの主役は女性です。子を産み育てる女性に稲の無事な生育と実りを託しています。他家の嫁や娘も雇い、雇われ、互いに力を合わせて田植えを行います。

皇居の水田で稲の田植え

昭和27年昭和天皇は、戦後の稲作振興の願いを込めて皇居内の水田で自ら御田植をされました。その思いは、平成、令和の天皇に受け継がれ皇室行事の一つとなっています。植えられた苗は秋に稲刈りされ、11月の新嘗祭に供えられる白酒(しろき)・黒酒(くろき)になります。御田植される苗は、うるち米の『ニホンマサリ』と、もち米の『マンゲツモチ』です。

「おこびる」と「こびり」 

一日中水田にかがんで手で苗を植え付けていくのは厳しい重労働です。休憩時にはふだんは漬け物やあり合わせのお茶うけでお茶を飲みますが、田植えの時には、白米飯のきな粉むすび、ぼたもち、おやき、うすやき、せんべい、ふかしいもなど、お腹の足しになり、癒しになるものを用意しました。「おこびる」(お小昼=おやつのこと)や「こびり」と呼ばれ、農作業中の大きな楽しみでした。

早苗饗(さなぶり)

かつて、田植えは集落の人々が支え合って行う一大イベントでしたでした。田植えが終わった後に、手伝ってくれた人々を労う饗応のことを「早苗饗(さなぶり)」と言います。地域によって異なりますが、多くの地域で「田植え煮もの」や「きな粉むすび」でもてなしました。煮物の具の凍み大根は煮ると多くの水を含み、黄色のきな粉は稲穂を表します。稲が育つための水が豊富にあるように、豊作になりますようにとの願いが込められています。

各地の御田植祭

御田植祭とは、豊作の願いを込めて、神社や寺などが持つ田んぼ(御田)で伝統的に行われてきた行事です。苦しい田植えの作業を楽しくする方法として田植歌を歌いながら田植えをする風習が、田の神を祀って豊穣を願う農耕儀礼と結びついて祭礼となったのが起源とされ、多くは4月から6月の間に全国各地で行われています。千葉県香取神宮の「香取神宮御田植祭」、三重県伊雑宮の「磯部の御神田」、大阪府住吉大社の「住吉の御田植」が日本三大御田植祭として知られています。

プレナスの米育活動~茅場町あおぞら田んぼプロジェクト

プレナスは茅場町オフィスの屋上の小さな田んぼで、子供たちとの米づくりを通じて米食文化の大切さを学ぶ「あおぞら田んぼプロジェクト」を2020年から行っています。4年目を迎えた本年は5月の田植えに始まり、9月の稲刈り、そして脱穀・籾摺りまでを阪本小学校の児童たちと一緒に行い、都会での米づくり体験の場を提供しています。

2022年の田植えの様子

プレナスの米づくり事業

プレナスは農地を借り受け、米づくりに取り組んでます。日本のおいしい米を世界へ広めることが、日本の美しい田園風景を守ることにつながればと願っています。2021年に埼玉県加須市で米の生産を開始。2022年に山形県庄内地方に2か所目のファームを開設し、IoTやロボット等のテクノロジーを活用し、圃場の水量を遠隔で管理するシステムやドローンを使った作業など、スマート農業による生産性の高い稲作に取り組んでいます。

 2023年には大分県宇佐市に3か所目のファームを開設します。昨今、農業従事者の減少や後継者不足、耕作放棄地の増加など、国内の農業は様々な課題を抱えています。当社が取り組む米の生産を通じて、我が国の農業や地域社会が抱える課題解決や地域環境の保全の一助となるよう努めています。


夏越の祓(なごしのはらえ)

この季節、各地で神社の境内に大きな「茅の輪」が設けられているのを見かけることがあるでしょう。この茅の輪をくぐると一年の半分の穢れが浄められ、厳しい夏を乗り越え残り半年を無事に過ごせると言われています。「茅の輪」をくぐるときには、「水無月の夏越しの祓する人は 千歳の命延ぶというなり」と、古歌を唱えつつ、まずは左からまわって、それから右へまわって、そしてまた左にまわって…と、八の字を描くように、三度くぐり抜けるのが決まりです。
 

また、人の形に切り取った紙に自分の名前や年齢を書いた「形代(かたしろ)」で身体の調子の悪いところなどを撫で、息をふっと吹きかけることで、自分の罪や穢れが形代に乗り移ると言われています。この形代を神社に奉納すると、お祓いをした後に形代を海や川などに流し清めてくれます。

「夏越の祓」行事食

夏越の祓には、「水無月(みなづき)」という和菓子を食べる風習があります。昔、宮中では六月一日に「氷の節句」が行われており、氷室に貯蔵された冬の氷を取り寄せ、それを口にすることで夏を無事に乗り切ろうと祈願しました。それに倣って、庶民は氷に見立てた生地(外郎/ういろう)に邪気を払う小豆をのせたお菓子を作り、6月を意味する「水無月」と名付けて食しました。特に夏越しの祓のころに食べると無病息災で過ごせると言われています。

「夏越ごはん」は、この夏越の祓に合わせ、その昔、蘇民将来(そみんしょうらい)が素戔嗚尊(すさのおのみこと)を「粟飯」でもてなした伝承に由来して、粟や、邪気を祓う豆などが入った雑穀ごはんの上に夏野菜を使った茅の輪をイメージした丸い食材をのせた行事食として日本人にとって重要な穀物“米”を中心に、公益社団法人米穀安定供給確保支援機構が提唱しています。