展示内容

Exhibition
2023.3.1~4.28

花見の宴と桜の楽しみ

桜は日本人に最も愛され親しまれている花です。春を告げるとともに、淡い薄紅の花が一斉に咲く華やかさと一斉に散る儚さは、人々を魅了してやみません。

平安貴族は樹下で管弦と漢詩や和歌を楽しみ、桃山時代の武将たちは樹下に酒席や茶席を設けて花見を楽しみました。庶民も花見を楽しむようになったのは、江戸時代半ばからです。八代将軍吉宗は江戸の各地に大量の桜を植樹し、庶民の花見を奨励しました。

桜が咲き始めると人々は連れ立って花見へと繰り出し、樹下に宴を設け桜とともに飲食を楽しみました。大勢の人が集まる花見はお正月よりも華やかな場でした。宴の中心にあったのがお弁当、みんなで食べることを意識した御馳走でした。空腹を満たすための必要からではなく、お弁当は楽しみのためのものとなったのです。

監修・解説 権代美重子

吉野の桜

吉野山は奈良時代に役行者(えんのぎょうじゃ)※が開山した修験道の霊場です。桜は吉野の御神木とされ、例え枯れ木でも薪にしてはならず一枝おれば指1本切る、など厳しい掟で守られてきました。また、金剛峯寺に参詣する信者は桜を寄進するのが習わしでした。桜の名所はそうして生まれました。桜をこよなく愛した西行は、吉野に庵を結びました。

※役小角(えんのおづぬ)ともいわれる修験道の開祖。舒明天皇6年(634)伝 - 大宝元年(701)伝。

平安貴族の花見

桜の花見は平安時代から始まりました。弘仁3年(812)に嵯峨天皇が催した「花宴の節」が最初とされ、やがて観桜の宴は天皇主催の宮中の恒例行事となり、貴族の間でも桜の花見が盛んになります。「源氏物語」第八帖「花宴」に紫宸殿で催された桜花の宴で源氏が披露した漢詩や舞が絶賛された様子が描かれています。その頃の花見のようすがうかがえます。

秀吉の吉野の花見

鎌倉時代から武士の間にも桜の花見が広がっていきます。特に有名なのが、秀吉が文禄3年(1594)に主催した吉野の花見です。武将たちのほか茶人や連歌師など総勢五千人の伴を連れた盛大なもので茶会や酒席などを設け、秀吉たちは仮装をして大いに楽しみました。貴族たちの優雅な観桜の宴から、賑やかに無礼講で楽しむ花見になるきっかけとなりました。

江戸時代の花見

江戸時代中期、吉宗の大規模な桜の植樹と花見の奨励によって、庶民も一斉に咲く盛大な桜を楽しむことができるようになりました。花見は幕府公認の大娯楽。人々はお弁当を持って誘い合って出かけ、桜とともに樹下での飲食を楽しみました。花見弁当は、仲間たちと一緒に食べます。「見る」「見せる」ことを意識したご馳走が詰められました。野外に持っていくのに便利な「提重(さげじゅう)」というお弁当箱が工夫されました。

花見の弁当箱

花見に持参するお弁当箱は主に重箱でした。重箱はたくさんの料理をコンパクトに詰めることができ、重ねて携行し、食べるときには広げてみんなで食べることができます。提重は持ち運びしやすいように提げ手がついており、中には重箱、徳利、盃、取り皿、箸などの什器が数人分組み入れられています。重箱も提重も機能だけでなく、宴を楽しむ特別な容器として趣向を凝らした美しいものが多く作られました。

花見弁当の献立

江戸時代後期寛政13年(1801)刊の料理本「料理早指南」に、花見弁当の献立が紹介されています。「上」「中」「下」と、豪華なものから手軽なものまで、献立と調理法が紹介されています。また、花見弁当の定番ともいえる献立は、玉子焼きと蒲鉾でした。江戸時代、卵一個の値段はかけ蕎麦一杯よりも高く、玉子焼きは大変なご馳走でした。

花見酒

花見の宴にはお酒がつきもの。お酒好きは美味しく飲むための工夫を怠りません。炭火で湯を温め燗をする焜炉(こんろ)付きの携帯用の「燗銅壺(かんどうこ)※」という道具がありました。焜炉に金網を載せれば、酒の肴のスルメや生椎茸などを焼くこともできました。花見客の中には酔っぱらってはめを外し顰蹙(ひんしゅく)をかう者もいましたが、花見時は庶民の息抜きと幕府も大目に見ていました。※江戸っ子は歯切れよく「かんどっこ」と呼びました。

花見団子

満開の桜の下で串団子を手に持つ花見客が描かれています。花見団子は、秀吉の醍醐の花見(慶長3年/1598)のときに茶店でふるまわれたのが最初と言われ、花見をしながらお菓子を楽しむという風習は江戸時代に広まりました。その頃の団子の色は白と黄色、今日おなじみのピンク,白、緑の三色の花見団子の登場は明治になってからのことです。花見団子の色は、ピンクは花で春、白は雪で冬、緑は草燃ゆる夏を表し、秋がないのは飽き(あき)ないように、とか。

お土産の桜餅

花見帰りの女性がお土産の桜餅を下げています。桜餅は隅田川沿いの長命寺の門番が、落ち葉掃除で出た桜の葉の活用を思い立って塩漬けにし、餅に巻いたのが始まりです。丁度隅田川の花見が始まったころで、1個4文という値段と桜の香りが評判で、たちまち人気の花見土産となりました。江戸時代後期文政の頃には、一年に77万枚の桜の葉を漬けて38万7500個の桜餅を売ったそうです。

桜餅には、関東風と関西風があります。関東風は小麦粉などの生地を平たく焼いて餡を包んだもので長命寺餅と呼ばれます。関西風は乾燥させたもち米を荒引きした道明寺粉を用いた生地で餡を包んだもので道明寺餅と呼ばれます。江戸の桜餅人気にならって天保年間(1830~44)に大坂の菓子屋が作りました。

桜湯

桜湯は、結納や出産、結婚式の控え室など、お祝いごとやおめでたい席に出される飲み物で「桜茶」ともいわれます。塩漬けした桜の花びらを湯呑茶碗に入れ、お湯を注ぐと、しぼんでいた花びらが開き、お湯が淡いピンク色になり桜の香りがします。それが未来に花を咲かせるようだとされ、おめでたい席に出されるようになりました。桜の花は八重桜、鮮やかなピンク色にするために塩漬けするときに梅酢が使われています。